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自称ロック好きという嘘  ~これからのロックファンの在り方~

目次

 

「ロック大好き!」「フェスは生きがい」「趣味の合う人と繋がりたい!」SNSの自己紹介にはこんな嘘をついている人が数えきれないほど居る。

 自称邦ロック好きの中心はSNS世代若者。すぐに繋がりを求めて、フォロワー稼ぎのために、「日曜日だし邦rock好きな人とつながりたい」なんてタグをやったり、RTしたりする。

 SNSで繋がりを求めることが問題ではない。私が感じる違和感は、SNSで繋がりを求め、さもロック大好きかのように振る舞っているが、大半は知識が希薄。自らを好きだと謳うほどの知識もない現状が蔓延しすぎているように思う。

 結果としてロックの歴史(ルーツ)・アーティストの背景(バックグラウンド)を知らず、大まかなジャンルも網羅しないで誤った認識が広まることで、本来のロックがもたらしてきた価値を失うことになりうる。適切な知識がない(知識が薄い)ファンの増加によって起こりうる問題は以下の通り。

・環境変化に伴って従来のファンの居場所を奪う

民度の低下(新規が集まりにくく、一部の人しか楽しめない)

・環境浄化にエネルギーを使うことが求められる

・有望なアーティストが適切な評価をされなくなる

確実とは言えないが、以上のような問題が実際に起こりうるため問題意識を持っていくべきだと思う。

ではどうしていくべきか。ロックファンの定義からこの問題を引き起こさない為の方法を紐解いていく。

ロックという言葉は曖昧すぎる

例として邦ロックを挙げる。

Hi-STANDARD10-FEETサンボマスターなどが好きなAさん。

SiM、coldrain、crossfaithなどが好きなBさん。

KANA-BOON、KEYTALK、クリープハイプなどが好きなCさん。

これらをまとめて邦ロック好きと一括りにしている。

 Aさんはメロコア、パンク。Bさんはラウド、ハードコア。CさんはJ-popあるいはポップロックが好きである。さらに細かくジャンル分けもできるが、大雑把に分けると大体こんな感じ。

 

 ジャンル問わず好きな人ならいいが、ロック好きを自称する人の中には一定のアーティストにしか興味がなく、さらにそのアーティストのことも良く知らないことが多い。ファンを名乗ることに条件などないが、最低限好きというからには、音源を聞きこむ、出演メディアのチェックなどは行うべきではないか。数えるくらいのバンドしか好きではなく、音楽性として大別されるジャンルすら知らない人が最近はあまりに多い。

 

ロック好きなら最低限のジャンルを理解するべき

 これは単に総合的なバンド知識、どれくらい曲を知っているかという問題ではない。

井の中の蛙大海を知らず」とは「狭い世界に生きて広い世界のことを知らない」ことを指す諺だが、自分の好きなジャンルを若いうち(十分な知識量がない状態)から固定し、他を知ろうとしない姿勢には疑問を感じることが多い。

 たしかに、アーティストや楽曲は数多く存在していて、それらをすべて知ることは不可能だ。だからこそ自分の好きなアーティストやジャンルを1つに絞って容易く決めるものではないと思う。若いうちは、いつ自身の抱く価値観が崩れるか分からないうえに、曲の持つ意味も良く分からないものだ。

  要するに1つのジャンルを語るうえで、知識が不十分である上に、ロックの中に細分化されたジャンル(メタル・ラウド・ハードコア・パンク・ポップ・オルタナ…)があることも知らないことが多々ある。

 ジャンルが同じなら音楽性も差異はないはず。

自称ロック好きの枝葉の無さ

 自称ロック好きの枝葉の無さとはどういうことか。

 自分が好きなアーティストや音楽性といった大きな幹があってそれに付随する知識が薄いことをここでは枝葉がないと表現しているが、つまりは派生がなく、領域も狭いことを総称している。

なぜこのような問題が起こるか私なりに原因を3つ考えてみた。

1.ジャンルの垣根を越えた音楽フェスの展開

2.デジタル化推進による情報の狭さ

3.知識人が周囲に居ないこと

他にも幾つか考えられるが、主な理由は以上と推測している。

 

 これから3つの原因について具体的に説明していく。

 

 1つ目の「ジャンルの垣根を越えた音楽フェスの展開について」は、音楽フェスが増加し、全国各地で季節ごとの風物詩となってしばらく経つが、これによって様々なアーティストのライブを見る機会が増えた。

 しかし、ROCK IN JAPANに代表されるように”ロック”フェスを謳っているが、出演者の一部は音楽性がロックではないフェスもかなり多い。このイベントの出演条件は音楽性というよりもロックな生き様や思想というものに基づいているように思える。これによって出演アーティスト全てがロックだと誤った認識が成されていることも大いにあるのではないか。

  実際メインステージにあるのはマスに寄ったJ-POPにカテゴライズされるアーティストが多く、音楽性としてロックなアーティストも勿論出演しているが、数多くいるアーティストの中で小規模ステージのアーティストはそのフェスの代表格とは考えにくい。

 

 2つ目の「デジタル化推進による情報の狭さ」とは、現在Spotifyやapplemusicなどに代表されるストリーミングサービスやiTunesが普及し、デジタル化の流れが一層強まっている。これ自体プラスの側面も大きいが、自らの情報の範囲を狭めているように思える。

 実際に音楽CD・DVDの販売店舗に足を運ぶことは、最新のリリースや店舗ごとのイチオシやジャンルの区別が明らかにする効果が大きかった。偶然見つけたCDのジャケットが気になったり、ラジオから流れてきた音楽を知ることから新たな音楽に出会う機会が多かった。

 メディアやオリコンでは限られたアーティストしか紹介しなくなったことも要因としてあるだろう。メディアから与えられた情報に対して受動的で、音楽と出会うために自ら行動を起こす能動的作業が少なくなっているように思える。

 このような状況が続き、3つ目の「知識人が周囲に居ないこと」状況が生まれてきている。ひとつのジャンルを極めている、あるいは幅広いジャンルの新旧作をチェックし、網羅している人はどれくらい居るだろう。このような人は非常に稀な存在で、正確で多くの情報を知っている人がファンのなかでも少ない。

 

 詳細に記載してみたが、現代を生きる人々が取捨選択もなしに、好きなアーティストを決め、手軽に音楽を消費することが寂しくてならない。曲を愛し、アルバムを愛し、アーティストを愛するといった音楽との対話がどんどんなくなっていくのではないか。

 曲は後追いでも知ることができるが、情報収集を行い、ライブに通い続け、アーティストと共に時代を生きてきた人に勝ることはない。歴史が積み重なるにつれ、バックグラウンドを含めたエピソードや生の空気感を知っている知識人との会話もこれから貴重なものになるかもしれない。

 

これからのファンに求められること

 知識不足の人がライブを中心とした現場に容易に介入できるようになったからこそ、従来大切にされてきた文化は衰退している状況にある。
 ライブハウスより遥かにオープンな空間となっているフェスがその代表的な例。ロックファンの中でこれまで問題視されなかった行為もフェスで事件として取り沙汰されたこと。これまで築き上げてきた環境が、不純物によって汚染され、それを取り除く浄化作業の為に苦労する。今まで平和に生存してきた純粋なファンが雑食である外来種に淘汰されるような構造が生まれてきている。
 かつてはフェスも自由な空間であったが、今では制約が多い。よりマスに向けて発信し、初心者にとっても安心して通える敷居が低くする取り組みではある規制もそれが一般化されてしまうと、ついには危険行為を含む文化が消失し、今やライブハウスが唯一の自由な空間になりつつある。このライブハウスは自由という現状すらもいつ崩壊してしまうか分からない状況にあるのだ。不要と判断されれば、これまでファンの間で許容されてきた行為は規制の対象になり、本当の意味での自由は根絶されるかもしれない。
 だからこそ、多くの人が今よりも深い知識をつけることが重要なのだ。これまで先人たちが築き上げてきたものを壊すことは避けなくてはならない。

 

 受け継がれてきた音楽の歴史を守るには、自らがロックファンとして音楽ファンとして知識を多く蓄えた存在になることが求められる。過去を知ることで現在の音楽を分かることもあるし、これから先も続く音楽を聴く日々が楽しくなるに違いない。

 結果として多様性を認めていくきっかけがジャンルを理解し、多くのアーティストを知り、その文化を知ることに繋がっているのだ。

 好きなアーティストや楽曲から、それらのルーツを知ることは、膨大にある音楽をどれから聴けばいいかという指標を与えてくれる。

 さらにはフェスの出演者から知識を深めていくというアプローチもあるだろう。

 必ずしもジャンルごとにルーツが異なる訳ではなく、相互に影響しあっている。

1つのアーティストに詳しくなるということは、同時に何組もアーティストを知ることに繋がる。類似しているメロディや曲の構成、アーティストを知ると自らの嗜好が見えてくる。

 このことを考えると好きなジャンルではなかったとしても、排他的になる必要は全くない。

 双方が理解を深めるこもができるよう各々の持つ価値観や行動を文化から知っていく必要がある。

 ファンというからには1人1人がもっと洗練されたマニアであるべきなのだと考えている。